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文語の歴史

3. 初期現代フィンランド語[1820年代~1860年代]

1809年,フィンランドがロシア領となる。

スウェーデンでもなく,ロシアでもないフィンランドにアイデンティティーを求めるスウェーデン語系知識人が多数現われる。フィンランド語のルネサンスとも呼べるこの時代は,フィンランドにおける民族意識の高まりという時代風潮のなかに位置付けられる

フィンランド語の文語は,すでに聖職者たちの占有物ではなくなっており,フィンランド語で文学作品が書かれたり,新聞が発行されたりするようになる。また,文語としての地位が確立しはじめたフィンランド語は,言語学的研究の対象とされるようになる

フィンランド語の新聞・雑誌
1776Suomenkieliset Tieto-Sanomat (Antti Lizelius, 1708-95)
1820Turun Wiikko-Sanomat (Reinhold von Becker, 1788-1858)
1829Oulun Wiikko-Sanomat
1833Sanan Saattaja Wiipurista
1836Mehiläinen (E. Lönnrot)〔雑誌, 1836-37, 1839-40
1844Maamiehen ystävä (J. V. Snellman)〔雑誌, -1855
1845Kanawa
1847Suometar (Uusi Suomi, 1918-1993?)

フィンランド語の書きことばの使用が普及してくると,その当時の文語の欠陥が意識されるようになった。当時の文語は,アグリコラ以来の伝統で,西フィンランド諸方言に依拠していたために,台頭してきた東フィンランド諸方言の話し手にとって,文法的にも語彙的にも,あまり使い勝手のよいものではなかった。また,この文語は,これまで宗教関係の文献の翻訳に用いられてきた書きことばであるために,表現や構文にスウェーデン語やラテン語の直訳が見られたり,語彙にもこれらの言語からの借用語が非常に多かったから,民族意識の対等とともに,より純粋で洗練されたフィンランド語の書きことばを求める動きが活発化するのは,時代の当然の成り行きであった。

西フィンランド諸方言に依拠したそれまでのフィンランド語文語に対する,東フィンランド諸方言の巻き返しは,「方言間抗争」 (murteiden taistelu) と呼ばれ, 1820 年代から1850 年ころまで,およそ 30 年間にわたって繰り広げられるが,フィンランド語の書きことばのありかたをめぐって,様々な提案や試みがなされた,いわば自然発生的な言語改革の時代であった。「方言間抗争」の結果,音韻・形態の面では,引続き西フィンランド諸方言の特徴を保持しつつ,語彙や表現の面で東フィンランド諸方言の要素が大幅に取り入れられることになり,今日のフィンランド語の標準語の基盤が成立することになった。

方言間抗争の時代に大きな影響力をもった人物はレンルート (Elias Lönnrot, 1802-1884;「リョンロート」などと表記されることもある)である。レンルートは,「フィンランド文学協会」 (Suomalaisen Kirjallisuuden Seura, 略称 SKS, 1831 設立)の経済的援助のもとに,カレリアを中心とする地域で口承文学を収集,フィンランド語の最初の文学作品 (韻文) 『カレワラ』 (Vanha Kalevala, 1835; Uusi Kalevala, 1849) として出版した。『カレワラ』 の出版は,フィンランドの国民文化の担い手としてのフィンランド語の実力を世界に示すとともに,東フィンランド方言の語彙・表現がフィンランド語の書きことばに大量に流入し,やがて定着するきっかけとなった。レンルートは,このほかにも 『フィンランド語・スウェーデン語辞典』 (Suomalais-ruotsalainen sanakirja, 1867-80) を編さんするなど,フィンランド語の標準語の確立に大きな役割を果たした。レンルートのこの辞書は,1961年に 『現代フィンランド語辞典』 (Nykysuomen sanakirja) が完成するまで,フィンランド語の辞書として最大のものであった。

フィンランド語の標準語の語彙が豊かになったという観点から,もうひとつ重要なことに,19 世紀のこの時代にいわゆる文化語彙が大量に造語されたということがある。このころに考案された派生語・複合語には,たとえば ihmiskunta 「人類」 kirjakieli 「文語」 sanomalehti 「新聞」 itsenäinen 「独立の」 kirjallisuus 「文学」 tasavalta 「共和国」 esine 「物」 henkilö 「人物」 taide 「芸術」 tiede 「学術」などがあるが,いずれも今日のフィンランド語の語彙の中核をなすものである。

19 世紀も半ばを過ぎると,フィンランド語にも散文の文学作品が現れ始める。フィンランド語の散文文学の創始者とされるのは,1860 年代に短い創作活動を行なったアレクシス・キヴィ (Aleksis Kivi, 1834-1872) である。キヴィの作品としては,『カレワラ』 に題材をとった戯曲 『クレルヴォ』 (Kullervo, 1864) や小説 『七人兄弟』 (Seitsemän veljestä, 1870) などがある。

更新日 2009/07/23