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文語の歴史

4. 現代フィンランド語[1870年代~現在]

1863年,ロシア皇帝アレクサンドル2世によって 「言語布告(kieliasetus) が出され,フィンランド語にスウェーデン語と対等の法律上の地位を与えることが宣言された。

フィンランド社会におけるフィンランド語の相対的地位は次第に向上し,フィンランド語は,学校,行政,裁判,新聞雑誌,文学・演劇など,社会のさまざまな分野で用いられるようになった。19世紀の初めには,フィンランド語を母語とする大学生は3分の1に満たなかったが,1880年代になると,その割合は5割に達し,フィンランド語系の知識人層が生まれ始める。

フィンランド語の社会的地位の向上の過程を象徴的に示すのは,大学をはじめとする高等教育のフィンランド語化の進展である。フィンランド語の大学を設立しようとする動きは 19 世紀の中ごろからあったが,その実現はフィンランドが国家として独立するまで待たなければならなかった。独立後間もない 1922 年,トゥルクに初めてのフィンランド語の大学 (Turun Suomalainen Yliopisto) が私立大学として設立された。現在のトゥルク大学の前身である。

フィンランドでは,ロシアの支配下におかれてからも,これまで通りスウェーデン語が公用語として用いられ続けた。次第にフィンランド語系の学生の比率が増加していく一方で,教授陣の大多数がスウェーデン語系のままであったヘルシンキ大学では,独立後,大学の管理運営のフィンランド語化を要求する運動が本格化する。1923 年には学生の母語の比率を考慮しつつ大学内の言語事情を調整することを定めた大学法が制定されるが,多数派を占めるフィンランド語系の学生を満足させるには至らなかった。「言語抗争」 (kielitaistelu) と呼ばれるこの対立はその後も続き,「ヘルシンキ大学はフィンランド語で管理運営され,教育はフィンランド語とスウェーデン語の2言語併用で行なう」 という今日の大原則に落ち着いたのは 1937 年のことである。

フィンランド語の標準語は,セタラ (Eemil Nestor Setälä, 1864-1935) の 『フィンランド語構文論』 (Suomen kielen lauseoppi, 1880) と 『フィンランド語文法』 (Suomen kielioppi, 1898) の2つの文法書によって,その枠組が確立した。セタラのこの2つの文法書は,細かい改訂が何度か施されつつ,フィンランド語標準語の規範文法として,1970年代頃まで学校教育で用いられたので,フィンランド語の伝統文法といえば,ふつうはセタラの文法体系をさしていると理解される。その後の標準フィンランド語の文法研究は,文法規範の整備を重要な目的の1つとして行われて来たが,その成果を盛り込んだ大学教科書は,トルク大学のイコラ (Osmo Ikola) が編集主幹になって編纂された『フィンランド語便覧』(Suomen kielen käsikirja, 1968),およびその簡略版『現代フィンランド語便覧』(Nykysuomen käsikirja, 1970),さらにその簡略版『現代フィンランド語の手引』(Nykysuomen opas, 2001) である。この教科書は,フィンランドの各大学のフィンランド語学科で,学校の国語教員を目指す学生たちの必読・必携の本とされてきた。

1920年代の終わりから,国家的事業として編集が始まった『現代フィンランド語辞典』 (Nykysuomen sanakirja, 1951-1961) が完成すると,フィンランド語の標準語は,語彙の点でも規範が確立した。この辞書の見出し語数は約20万語で,用例収集は基本的に1938年までに終わっていたと言われる。「現代フィンランド語」(nykysuomi) は,通常,フィンランド語の最初の作家アレクシス・キヴィ (Aleksis Kivi, 1834-1872)以降,即ち 1870年代以降のフィンランド語を指すが,『現代フィンランド語辞典』には,それより古い『カレワラ』(1849) からの用例も収録されている。『現代フィンランド語辞典』の用例データベースは,その後,国立の研究機関「フィンランド内国語研究センター」に引き継がれ,継続的に新たな用例が加えられている。1990年代の初めには,見出し語数約10万語の新しい国語辞典『フィンランド語基礎辞典』 (Suomen kielen perussanakirja, 1990-1994)が出版され,その後CD-ROM(CD-Perussanakirja, 1997) も出された。この国語辞典は,2004年に Kielitoimiston sanakirja という名前で改訂版(CD-ROMあり)が出されている。

フィンランド語内国語研究センターとヘルシンキ大学フィンランド語学科の共同プロジェクトとして2004年秋に出版された『フィンランド語大文法』(Iso suomen kielioppi, 2004; オンライン版) は,約1700ページの大部の文法書で,コーパスを利用した記述文法の側面とともに,標準語の規範文法としての役割も担っていることを明言している。この文法書の章立て(「語」「文法構造」「文法現象」)をみれば明らかなように,フィンランド語の文法研究は,セタラの伝統を脱皮して,新しい時代に入ったとみることができる。

更新日 2009/07/23