文脈・場面と文の理解

次の文章で,異なる登場人物は何人だろうか。

(1) あの民宿のおばさんの話では,前日,つまり,土曜日の4時頃,彼女は,男性と2人であそこの風呂に入りに来て,食事はキャンセルして帰ったといっているんだ。ところが,主婦が帰るところをみたのは,男性だけで,の方はみなかったということがわかったらしい。 (山村美紗)

人を表す名詞は6つであるから,同じ人を指し示しているか否かによる組み合わせは,機械的に考えるなら36 (=6×6) 通りある。しかしながら,われわれが実際にこの文章を読む際には,そのうちから最も適当な解釈を選んで理解する。

特定の解釈に絞り込む際に聞き手が利用する情報にはいろいろなタイプがある。まず,6つの表現うち,「おばさん」 「彼女」 「主婦」 「」 は女性を表すから,「男性」 の指す人物と同じ人を指すことはないということを聞き手は知っている。単語の意味に関するこのような情報は,聞き手の頭の中にある 「語彙的な知識」 から導き出されるものである。語彙的な知識には,「おばさん」 が成人女性であるとか,「主婦」 が結婚している成人女性であるといったことも含まれる。

また,2番目の文は,文の構造から 「主婦」 と 「」 と 「男性」 すべて別の人物と考えないと,そもそも理解ができない。これに対して,最初の文の構造は,「おばさん」 と 「彼女」 とを同じ人物と考えても,別々の人物と考えても,理解可能である。文の理解の際に用いられる,このような文の構造から引き出される情報を 「統語的な条件」 と言うことにする。

さらに,この2つの文が出てくる物語の大きな文脈 (ストーリーの展開) を知っていると,1番目の文の 「おばさん」 「彼女」 「男性」 が,それぞれ2番目の文の 「主婦」 「」 「男性」 と同じ人物を指していることがわかる。というか,そう理解しないと,そもそも2つの文がうまく繋がっていかない。文の理解に用いられるこういった情報を「文脈的な情報」と呼ぶことにする。

このような3つのタイプの情報のうち,2番目の 「統語的な条件」 のみを,通常は統語論の守備範囲とみなす。すなわち,統語論は,話し手・聞き手の文の発話や理解のプロセスのほんの一部のみの研究ということになる。

更新日:2003/11/30 — Copyright © 2003 by Kazuto Matsumura