サイマー湖水地方

たくさんの谷によって結ばれたサイマー湖水地方は,青い水を湛えて,東フィンランドの広い範囲にわたって広がっている。サイマー湖は,ラドガ湖,イナリ湖,オウルヤルヴィ湖などのような,1つだけぽつんとある湖ではない。サイマー湖およびエノンヴェシ湖と呼ばれているのは,フィンランド湾の北側,ラドガ湖の西側に広がる広大な湖水地域の総称で,大小の湖,湾,水路が多数連なったものである。水は,この互いにつながった水域の1つから別の水域へと,順番に南に向かって流れていき,最後に,大きく,流れの速いヴオクシ川となって,ラドガ湖に流れ込む。

この長く入り組んだ湖の連なりからなる水路では,ボート,荷船,汽船のための航路がそれぞれ決められている。ちょうど海岸沿いに並ぶ島々の間を抜けるときのように,たくさんの島,岬,地峡を通り過ぎ,様々に姿を変える岸に沿いながら,船は,1つの湖から次の湖へと何十キロもの旅を続ける。サイマーの船旅では,四方にはいつも陸地が見えるけれども,大きな湖に出ると,陸地は遠くの方に青みがかって見えるだけだ。水がきれいだから,晴れて波のない日には,かなり深いところまで透き通ってみえる。夏の気温の十分高い時期には,湖が藍色に見える。丘からはところどころ,薄い煙の柱が空に向かって昇っている。これは,針葉樹の森の中の小屋の煙突の煙だ。木々の梢の高さに薄い煙の雲がかかっているところもある。あれは,山の斜面の焼き畑の煙だ。こういった薄い煙の雲が,暖かい空気と混ざると水滴が生じ,それが細かい霧となる。これが霞だ。霞は,薄く柔らかなガーゼのように,丘や岸や湖面を覆う。すべてが,綿にくるまれたように柔らかに見えるのはそのためだ。すると,美しい藍色の広い湖面は,黒いベールで覆われた枠に嵌められた,透き通った鏡のように見える。自然のこれほど美しい風景は,余所ではまず見られないだろう。

もっとも,サイマーのすべての湖が,美しい藍色で,旅人の目を魅了するわけではない。すべての湖の水が,同じくらい透き通っているわけでも,天気がすべての場所に対して,同じように優しいわけでもない。しかし,サイマー湖,ナシヤルヴィ湖,マラスヴェシ湖,ロイネ湖などの大きな藍色の湖--そういう湖は数限りなくあるが,そういう湖を一度見た人は,その風景を決して忘れないであろう。それは人々の心を奪う。わたしたちは,このようなすばらしい住みかを地上に用意して与えてくれた神に対して,すべてを感謝しなければならない。この美しさが続くのはほんの短い期間だけであるし,また,すべての生き物が順番に緑になり,枯れるようにして,人間が大地に惚れ込み,天国を忘れてしまわないように,神は配慮しているわけだが,とにかく,このやさしくて,すばらしい風景は,楽しく,心和む思い出として残る。秋が来て,岸で紅葉が始まり,サイマーの湖面は,嵐で波頭が白く泡立つようになる。しばらく経てば,すべてが凍り,白樺の枝が雪の重みでしなり,青い水も白い氷となる。しかし,針葉樹の森は,あたかも一面の死の中に見える希望の前触れのように,ずっと緑のままである。そして,毛皮を纏った旅人は,白く広がる氷の野原に目をやり,そろそろ,ひばりの第一声が聞こえないかと耳を澄ます。旅人は,サイマーが再び青くなる春を思い描く。湖面はふたたび鏡のように透き通り,その枠は,白樺の梢のあたりに軽やかに浮かぶ,やわらかく薄いガーゼにくるまれている...

(松村一登訳)

— Z・トペリウス(1875)『読本 わが国』より

更新日:2007/09/22 — Copyright © 2005, 2007 by Kazuto Matsumura