フィンランド人とは

Ruotsalaisia emme enää ole, venäläisiksi emme halua tulla, olkaamme siis suomalaisia.

「われわれはもはやスウェーデン人ではないが,さりとてロシア人になるわけにもいかない。フィンランド人であろうではないか。」

今日フィンランドと呼ばれる地域は,歴史上何度も,西のスウェーデンと東のロシアの領土をめぐる争いの戦場になって,国境線は時代とともに変化したが,基本的には,おおむねスウェーデンの支配下にあった。しかし,1809年,フィンランドをめぐるロシアとの戦争にスウェーデンが最終的に敗れると,ロシア領になった。さいわい,ロシアは,フィンランドがスウェーデン時代から引き継いだ社会制度 (自由な農民層,ルーテル派新教,スウェーデンの法体系) を尊重したので,フィンランドは自治大公国として,特別待遇を受けることができた。

冒頭の有名な文句は,「フィンランド人」と呼ばれる国民が生まれ,独立国家を形成するまでの歴史的背景がみごとに凝縮されたことばである。

私たちが「フィンランド人」と呼んでいる人々のアイデンティティーは,帰属がスウェーデンからロシアに移ったという状況の中で,自分たちは「スウェーデン人」とは区別される国民であると意識し始めたことを契機として生まれ,次第に熟成し,19世紀末からの激しいロシア化に対する抵抗の拠り所として確立されたものとされる。こうして生まれた国フィンランドにとって,1917年のロシアからの独立は,この歴史の流れの中で,当然の成り行きであったといえる。

フィンランドは,このように比較的最近成立した国 (kansakunta) [英語 nation] であり,今日フィンランド人の国民性 (kansanluonne) として語られる特徴は,19世紀に「フィンランド人であること」(suomalaisuus) が,知識人の間ではっきりと意識されるようになってから形成された特徴づけであると考えたほうがいい。

「フィンランド」「フィンランド人」の概念は,その成立の経過をみればはっきりわかるように,この地域のフィンランド語系,スウェーデン語系の両方の文化的遺産を融合し,「スウェーデン」からの借り物でなはい独自の国民文化として発展させるという考え方の上に成り立っているといえる。スネルマンをはじめ,19世紀中期までの「フィンランド」「フィンランド人」の考え方の推進者の多くは,スウェーデン語系の知識人であり,今では想像がむずかしいが,フィンランド語はほとんどできない人が多かったようである。叙事詩「カレワラ」は,このような背景の中で,知識人たちによって「フィンランド」「フィンランド人」を特徴づけるフィンランド語系の文化遺産として「発見」されたものである。だからこそ,そのモチーフは,フィンランド語系のみならず,スウェーデン語系の「フィンランド人」の芸術家たちによっても,自らの民族的アイデンティティーの表現として,ひろく用いられたのである。

更新日:2005/11/04 — Copyright © 2005 by Kazuto Matsumura