トゥルクに大学 (Turun Akatemia) ができる(講義の言語はラテン語)
大学の講義の言語がスウェーデン語になる。スウェーデン語化政策に反発するフィンランド語擁護派 (fennofiilit) の活躍。
民族的覚醒の時代:フィンランド人が,スウェーデンともロシアとも区別されるフィンランドという国をはっきりと意識しはじめる。フィンランドがスウェーデン領からロシア領に変わったことが大きく影響した。
フィンランドがスウェーデン領からロシア領になる。「フィンランド大公国」の成立。
ロシア領だったカレリア (Karjala) がフィンランドと結合される。
ヘルシンキがフィンランド大公国の首都に制定される。
トゥルクの大火。
トゥルクにあった大学がヘルシンキに移転。
大学にフィンランド語の講師職が設けられる。
フィンランド文学協会 (Suomalaisen Kirjallisuuden Seura; SKS) の設立。
「古カレワラ」(Vanha Kalevala) の出版[『カレワラ』の出版年とされる]。
フィンランド語が中等学校 (oppikoulu) の教科として認められる。
「新カレワラ」(Uusi Kalevala) の出版[『カレワラ』といえばこちらを指す]。
ヘルシンキ大学にフィンランド語教授職が設けられる。初代フィンランド語教授はカストレーン (1850-52),第2代はレンルート (1853-62)。
大学における最初のフィンランド語による講義がレンルートによって行なわれる。
地方自治体,中等学校 (oppikoulu) でフィンランド語の使用が始まる。
ロシア皇帝アレクサンドル2世による言語布告 (Kieliasetus)。
フィンランド語系住民に,裁判所その他の役所において,フィンランド語でサービスを受ける権利を認める (実施までに 20 年の猶予期間); スネルマンの尽力で実現した。
アレクシス・キヴィ『七人兄弟』(Seitsemän veljestä) の出版。
フィンランド語系が,中等学校の卒業生 (ylioppilas) の半数を超える。
国会で初めてフィンランド語の演説が行なわれる。大学の教師は,フィンランド語・スウェーデン語ともに堪能でなければならないとする規則ができる。
役人に対し,フィンランド語地域ではフィンランド語でサービスを行なうことが義務づけられる(フィンランド語がスウェーデン語と並ぶ地位を獲得)。
フィンランドがロシアから独立 (12月6日)。
憲法によって,フィンランド語とスウェーデン語の両方が国語と規定される
トゥルク大学 (Turun Suomalainen Yliopisto) がフィンランド語で講義を行う私立大学として設立される。
大学法 (Yliopistolaki) により,それぞれの言語を母語とする学生の割合に応じて,フィンランド語・スウェーデン語による講義を設けるという原則の成立。
ヘルシンキ大学の運営のための言語 (virkakieli) がフィンランド語となり,すべての科目がフィンランド語で聴講できるようになる。
スウェーデン語による講義のための教授職の数に関する取り決めができる。
フィンランド語系が高校卒業者 (大学入学資格者) の9割を超える。