フィンランドの人々

フィンランドに住む人々を地理的にみてみよう。

国の東部,すなわち,カレリア,サヴォ(Savo),ポヒヤンマー(Pohjanmaa; オストロボスニア)の北部・北東部にはカレリア人が住んでいる。国の西部,すなわち,ハメ(Häme),サタクンタ(Satakunta),元フィンランド(Varsinais-Suomi),ウーシマー(Uusimaa)の北部,ポヒヤンマーの南東部にはハメ人が住んでいる。ウウシマーの南部,南ポヒヤンマーの海岸地域,オーランド諸島には,スウェーデン語系の住民がいる。南フィンランドへは,そこそこの人数のロシア人が移住している。フィンランド国内にはこのほかに,ドイツ人,イギリス人,フランス人,ノルウェー人などなどが少数住んでいる。

このように,この国には,系統や言語を異にする人々が住んでいる。フィンランドの住民100人あたりでは,フィン(スオミ)系86人,スウェーデン系12人,ロシア系1人,それにゲルマン系がもう1人ということになる。フィン系の父親とスウェーデン系の母親,あるいは,スウェーデン系の父親とフィン系の母親を持つ人々も多くいるし,ロシア系の父親とフィン系の母親をもつ人々や,両親が,あるいは先祖が外国から移り住んだという人々も少なくない。他の民族の血が一滴も交じっていない,民族的に混じりっけのない人々はまれである。しかし,この国を祖国と考え,祖国として大切に思っている人々はすべて,この国の法律を守り,この国のために尽くしている人々はすべて,国民としてのまとまりをもっているとされる。すなわち,祖国に対する愛,法律を守ろうとする精神,幸福と利益の分かち合いという絆によって,結ばれているのである。いろいろな民族出身の船乗りたちが,ひとつの船で大海を航海しているときには,目的の港に到達するために全員が協調して働かなければならない。さもないと,全員が船ごと沈んでしまうだろう。それと同じように,神が,異なる民族の人々を同じ地上に住まわせ,お互いに対して同じように責任を持つようにさせたとすれば,それは,この人々もまたお互い協調して生きていくことによって,民族として繁栄するとともに,人々がより協調して暮らしている他の国に領土を奪われてしまわないようにしなければならないということなのである。国民が,心を祖国に根付かせたひとりの人間のように一体でなければならない。

ちょうどたくさんの木が集まって森が出来るように,この国も人々も一体をなしている。マツ,トウヒ,シラカバは異なった種類の木だが,それらが集まって森を作っている。異なった地方出身の人々は,外見も,服装も,性格も,風習も,暮らし方も異なっている。西のハメ人は東のカレリア人から,南のウーシマー人は北のポヒヤンマー人から,すぐに区別できる。どの村の住人も,その近隣の村々の住民から区別できる。しかし,外国に旅行して,わが国の異なる地域の出身の人々に会うと,みんなどこか似ていると気がつく。フィンランドを旅行する外国人もまた,この国の住人はお互いによく似ていることに気づく。なぜなら,子どものころから同じ国で,同じ法律,同じ生活習慣のもとに暮らしてきた人々は,どんなに異なる部分があったとしても,お互いに非常に似てしまうからだ。

このような人々が共通に持っている特徴,すなわち国民性 (kansanluonne) は,ことばで説明するものというよりは,感じ取るものである。それは,神が,それぞれの国民に対し,彼らを一緒に住まわせることによって,与えた目印のようなものである。この目印は,世界のどこで,どこを目指して歩いていようとも,ひとりひとりについて離れないものだ。その目印は,教育,生活習慣,生活環境の影響で弱くなることはあるが,消えてなくなることはまずない。

(松村一登訳)

— Z・トペリウス(1875)『読本 わが国』より

更新日:2005/10/23 — Copyright © 2005 by Kazuto Matsumura