松村一登 :研究分野・関心

多言語社会・危機言語

多言語併用の問題に私が感心を抱くようになったきっかけは,1978年の秋から,フィンランドに留学したことです。フィンランドは,憲法でフィンランド語とスウェーデン語の2つを国語と定めて,国のレベルでの二言語併用を機能させている国ですが,二言語併用都市ヘルシンキに住んでみてはじめて,二言語併用社会がどんなものであるかわかりました。また,言語計画についても,フィンランド語の歴史の勉強を通じて,また,フィンランド語研究・教育の現場を見ることで,具体的なイメージをつかむことができました。

言語の問題が政治問題であることを私がはっきりと理解するようになったのは,ソビエト時代のエストニアと深く関わるようになったためです。国内で2つの言語(エストニア語とロシア語)が併用されているエストニアの言語状況は,フィンランドのそれとは似て非なるものでした(今でもそうですが)。エストニアは,ソビエト時代の終わりの1989年1月,最初の言語法を国会で成立させていますが,このできたばかりの言語法をタリンで日本語に訳したことが,私が言語政策に対して強い関心を抱く直接のきっかけになりました。

何らかの理由で,1世代あるいは2世代のうちに,話し手が絶えてしまうだろうと危惧される言語のことを「危機言語」 (endangered languages「消滅に瀕した言語」) と呼んでいます。1990年代の中頃から,日本でも危機言語に関連する研究・調査が注目を浴びるようになりました。

1999~2002年度には 「環太平洋の消滅に瀕した言語にかんする緊急調査研究」 (文部省科学研究費補助金・特定領域研究) という大きな研究プロジェクトに参加しました。私の研究テーマは「消滅に瀕した言語の言語資料のコンピュータ処理のためのデータ構造・分析ツールの研究」(2000~2002年度) で,Unicodeを使って IPA 音声記号などの特殊な文字が簡単に入力できるツールとフォントの開発を行いました ( 「フィールド言語学者のための Unicode ツール」参照)。

ロシアの言語学者たちの協力を得て作成した,ロシアの少数言語に関する英語の文献リスト 「ロシア少数言語文献案内」 を2001年8月から,インターネットで公開しています。この「文献案内」は印刷版としても公刊されましたが,今は絶版になっています。なお,コピーが,アメリカ合衆国教育省 (Department of Education)教育資料情報センター (Education Resources Information Center; ERIC) のサイトから入手できます。

私が編集した Studies in Endangered Languages (「危機言語の研究」,ひつじ書房刊, 1998) という本は,1995年11月に東京大学で開かれた 「危機言語に関する国際シンポジウム」 の報告書です。[ 危機言語関連出版物 ]

2003年3月,パリのユネスコ本部で「ユネスコの危機言語の保全プログラムに関する国際専門家会議」が開かれ,「危機言語クリアリングハウスの活動とその今後」と題して,短い報告を行いました。

社会言語学,社会学,文化人類学,歴史学など,いろいろな分野の人たちが集まって,言語と社会の関わりを研究するために作っている「多言語社会研究会」に私も参加させていただいています。この研究会のメンバーが中心となって,『ことばと社会』 (三元社刊) という雑誌も発行されています。

更新日 2007/11/07 — © 2007 by Kazuto Matsumura