2002年3月18日

[わたしが選ぶ ニュースセレクト]

松村 一登 (東京大学大学院教授) さんが最近注目しているニュース

「絶滅の危機に瀕する少数言語」

【ニュースのあらまし】
[【写真】「満州語」消滅の危機 1996年、中国・ハルビンで開催された「満・ツングース学会」。「満州族」の言語である満州語を使える同族の話し手が数十人まで激減、言語消滅の危機にひんしている[曲敏郎北海道大学大学院教授提供]【時事通信社】] 【写真】「満州語」消滅の危機 1996年、中国・ハルビンで開催された「満・ツングース学会」。「満州族」の言語である満州語を使える同族の話し手が数十人まで激減、言語消滅の危機にひんしている[曲敏郎北海道大学大学院教授提供]【時事通信社】

ユネスコが先ごろ発表した報告によれば、世界で約6000の言語のうち半数が消滅の危機にあるという。21世紀中には半数の言語が消えるとの予測もある。だが最近では、こうした「危機言語」を絶滅から守ろうとする運動が生まれている。欧州では1992年、「地域語・少数言語に関する欧州憲章」が採択されているほか、先住民の同化政策をとっていたアメリカやオーストラリアでも少数言語の保存へと動き出している。

「言語の多様性が失われれば、活力が失われる」 松村一登さん (東京大学大学院教授)

動植物と同じように、言語も絶滅の危機に瀕しているという見方がある。これは世界的な現象で、少数言語はフランス語や英語、中国語などにとって変わっているという。そもそも言葉の数というのは、どうやって数えているのだろうか。 「言語の定義には、いろいろな考え方があります。相互に理解できるか、どれくらい語彙 (ごい) が共有されているかという言語学的な見方が一つ。一方で、言語共同体的として考える見方があります。そうなると、政治的な判断も出てくるわけです。国をもっているかどうかも判断基準になります。チェコ語とスロバキア語は、東京語と関西弁よりも言語としては近い。でも歴史的に異なる書き言葉を当てはめているんです。デンマーク語とスウェーデン語もそうですね。その対極にいるのが中国で、国内でも話が通じないから筆談をする。つまり、言語を考えるときの基準は、地域によって一定していないんです。また、言葉には宗教もからんできます。セルビアとクロアチアは事実上同じ言語ですが、宗教が異なるため違う言語だとしています。これは、ヒンディー語とウルドゥー語にも当てはまります」

「もう一つの問題は、方言です。中国のなかの言葉を方言とするのか、一つの言語とするのか。琉球語は一つの言語なのか。これは政治的な問題でもあるわけです。琉球王国が続いていたら、別の言語ともいえますよね。アマゾンの奥地など、まだ調査ができていない地域もあります。6000という数字は、どこまで厳密に考えるかでしょうね。昔は3000くらいだと言われていたのですが、言語学的にどんどん増えて今はこの数字に落ち着いています。イギリスの言語学者デービッド・クリスタルが「言語学百科事典」で定義したのが基準になっています」

●言葉は翻訳できるけれども、概念は訳せない

政治や宗教がからむ言葉は、人間の歴史そのものと言えそうだ。言語が失われれれば、そうした歴史が消えることになる。実際、言語はどれくらいの危機的状況にあるのか。

「1世代か2世代か後に、話し手がいなくなってしまうと予想される言語を『絶滅の危機にある』と呼んでいます。言語は元来生まれたり消えたりするもので、消滅が今になって加速しているわけではないかもしれない。調査が進み、情報が入ってきているからそう見えるのでしょう。それでも、私はかなり悲観的にとらえています。フランス語やロシア語など、その地域の有力な言語に同化していってしまう数は少なくありません。中国や北米、中南米もかなり危ない状況のようです。話す人口が少なくても存続しそうな言語もありますが、マリ語のように子供が習得しなくなり、消滅する可能性の高い言語もあります」

●アイデンティティーとしての言語

言語を守るために学校で教えたり、家庭で話す努力を続けている地域もある。サーミ語やウマリ語を話す人たちなど、意識が高い人たちの間ではその成果があがっているという。言語にはアインデンティティーとしての意味もあり、自分たちの存在のよりどころとして保護するいうこともあるだろう。ただし、ことはそう単純ではない。言語を守ることは、矛盾もはらんでいるのである。

「古い物を集めて保存するという博物館的な意味では、シベリアではできるだけ昔の言葉を使ってほしいし、アイヌ人にもアイヌ語を話していてほしいわけです。でもそうすると、進歩から隔絶された博物館になってしまう。そうした矛盾や葛藤もあると思います。むずかしいです。彼らが普通の生活をしていけないわけではないですから。たとえば、エスキモーの芸術は単純ですが、それだけを守ればいいのかということになるわけです」

だがそれでも、環境の多様性が失われることと同様、言語の多様性が失われることは人間にとって大きな損失だという。 「言語が消滅して同じ言葉になってしまうと、文化的な資源が枯渇しバイタリティーが失われてしまいます。言語は文化の担い手ですから、異なる言語では概念も違う。そうした違った考えがぶつかることで新しい文化が生まれるのです。英語で十分に用は事足りるけれども、英語ではカバーできない概念もあります。翻訳はできるけれども、根底にある考えを完全に翻訳することは無理です。違う世界があることを知らないのは損失ですよね。贅沢ですが、必要な探求だと思います」

●英語脅威論はナンセンス

グローバル化とIT化の波で、世界的に英語が優位になっている。英語の侵略を危惧する声も聞こえてくるが、少数言語を話す人たちにとっては、英語は世界に発信する道具として有用だ。

「少数言語の人たちは、生きていくうえではバイリンガルにならざるをえません。英語が普及したから言語が消滅しているわけではないのです。英語が食っている箇所もあれば、ロシア語が食っている箇所もある。彼らに負担がかかっていることは事実ですが、英語脅威論に振り回されることなく、本当の問題を見なければいけません。本当を言えば、英語だって危機なんですよ。世界に普及しすぎた結果、由緒正しい英語なんてどこにもないんですから (笑) 」

●松村 一登:プロフィール

松村一登

東京大学大学院人文社会系教授。長野県生まれ。フィンランド語やマリ語などのウラル諸語研究が専門。99年より、文部省のプロジェクト「環太平洋の消滅に瀕した言語にかんする緊急調査研究」に参加。編著に『Studies in Endangered Languages』 (ひつじ書房) な

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