「アイタ (Aitäh)!」
取材の後,こんな言葉をもらった。エストニア語で「ありがとう」の意味だ。
「好きな言葉なんです」。東京都文京区にある東大大学院の研究室。日本ではここにしかないというエストニア語やフィンランド語など語学関係の洋書でぎっしり埋まった本棚に囲まれ,「今,話し手が急速に減少し,消滅にひんしている少数言語が世界各地にある。憂うべき事態です」と話した。
下伊那郡豊丘村河野生まれの五十二歳。飯田高校から東大へ進学し,関心のあった言語研究の道へ。職場の東大大学院では,昨年春から二人の院生に言語学を指導している。専門はフィンランド,エストニア語などが属するウラル語学。このグループには,旧ソ連圏内にボート語,マリ語など一,二世代のうちに話者がいなくなり,使われなくなってしまう可能性のある幾つかの言語が存在する。
ウラル語の中でも個人的に愛着を持っているのがエストニア語だ。1978年から81年までフィンランドのヘルシンキ大に留学。その時,バルト海を挟んでフェリーに乗って約三時間で行けるエストニアに数回滞在した。人口約百四十万人。九州の 1.2 倍ほどの広さの森と無数の湖沼に恵まれた美しい小国だ。
「フィンランド語とよく似た言葉だけど,エストニアに行った時,自分との相性のよさを感じた。そんな感じでのめり込んでいったのです」
旧ソ連に属していた1980年代後半から急速に進展した民主化運動は市民の政治的なコンサートが推進力となり,「歌う革命」とも呼ばれた。そして91年8月,エストニアは独立を宣言。ちょうどその時,東大の前に勤務していた東京外語大アジア・アフリカ言語文化研究所で,くしくもエストニア語の集中講義をしていた。手作りの文法書と辞書を用意して。受講生の中から,エストニア語の知識を駆使する研究者が育ったことが喜びだ。【写真:「文化の多様性は言語の多様性が支えている。少数言語の研究は重要」。自身の仕事について熱く語る=東京都文京区の東大大学院】
「グローバル化という言葉があります。グローバル化が進むことは英語一元化が進むことであり,言語の多様性が失われる。世界の文化の多様性は,言語の多様性によって支えられている。言語の多様性を大切にすべきだと考えるわたしはグローバル化を歓迎せず,懐疑的にみています」と力を込めた。
特に,少数言語はIT(情報技術)化の中で,コンピューターで使用されないと,さらに大きな,打撃を受けることになる。このため話者の少ない言語資料をできる限り,電子化して蓄積し,広く活用できるようにする基礎研究に力を注ぐ。自身で「言語資料学」と名付けた。
「故郷を離れて長いが,わたしが高校生のころは日本の教育には多様性があり,信州の教育は地域的な特色を持つ代名詞だったと思う。教育の地域的多様性が次第に薄まって画一化が進む今,信州の教育が再び特色のある地域教育のモデルになってほしい」