『しんぶん赤旗』2002/05/22

消滅の危機にある少数言語

多様で,不利益ない社会へ

松村一登

世界中では 6000 以上の言語が話されていると言われるが,10 あまりの大言語の話者だけで,世界の人口の半分をしめる。他方,世界の言語の4割以上が話者が千人以下の小言語である。

Kazuto's photo 世界には,母語だけ使っていれば自動的にすべての文化的恩恵を受けられる大言語の話者たちの社会がある一方で,母語だけでは十分な文化的サービスを受けられず,ニ言語・三言語の併用を余儀なくされている少数言語の話者たちがいる。後者の場合,子どもたちが親たちの言語を母語として受け継ぐ機会を十分に保障されず,次第に,より勢力のある近隣の言語に同化しつつあるケースが少なくない。

人の営みの基礎

1~2世代のうちに,話す人がいなくなる恐れのある少数言語を「消滅の危機にある言語」,略して「危機言語」と呼ぶが,悲観的な推測によれば世界の言語の半分はこのカテゴリに属するとさえ言われる。

法律はことばで書かれ,裁判,国会の証人喚問,医者と患者の間のコミュニケーション,学校教育,デパートでのショッピング―何ひとつとっても,ことばを媒介として行われることばかりである。ことばは,このように人間のあらゆる営みの基礎であり,わたしたちひとりひとりが人間として生きていくための基本的な条件,私たちをとりまくもっとも基本的な環境である。自然環境,社会環境という言葉があるのに「言語環境」という言葉がないのは不思議な気がする。

どうみる英語?

19世紀以来,経済的な富の配分の不公正は地球上の社会的な「悪」とされ,是正されるべき社会現象とされてきた。しかし,地球的規模で見られる言語資源の不公正な配分を社会的不平等とみなす見方はなかなか生まれず,言語環境に関するかぎり,19世紀型の「弱肉強食」の原理が現在でも通用しているといっても誇張ではない。言語学者が,言語環境におけるアンバランスに目を向け,危機言語を「まともな研究」の対象として認知しはじめたのは,比較的最近のことである。

地球規模の言語的な不平等を論じる際によく用いられることばに,「英語帝国主義」がある。「英語の世界支配が,現在の言語環境における諸悪の根源だ」という意味のようだが,世界各地で少数言語が消滅の危機に瀕していることの責任をすべて英語に負わせるのは,表面的なとらえかたである。

たとえば,日本国内におけるアイヌ語の話者の急激な減少という歴史的事実と世界規模での英語の普及とを直接の因果関係で結ぼうとするのは,どう考えても乱暴な論理であって,アイヌ語の話者の減少は,だれが見ても,日本語を話す日本人に関わる問題である。すなわち,言語環境の不平等は少数言語の話者のつくるコミュニティーと,それをとりまくその地域の支配的な言語の話者のつくる社会との間に起こる問題として認識する必要がある。オーストラリアや北米における先住民族の言語の話者の減少も,これらの地域への英語の進出が,昨今言われているグローバル化より以前に起こったものである点で,シベリアのロシア語や中南米のスペイン語と先住民族の言語の関係と同じ歴史的文脈でとらえるのがより適切な捉え方である。

不利益をなくす

言語環境における平等の実現には,母語の違いによって人間が不利益を受けることのない社会のしくみをつくる必要がある。最先端の科学技術であるインターネットも,日本語と英語だけを使ってホームページを作って,それを国際化だと思っているうちは快適だが,英語以外の外国語をホームページで使おうと思った途端に非常に不便になってしまうとしたら,まだまだ「欠陥商品」と見たほうがいい。

言語の違い由来する社会的不利益は少なくない。憲法第14条に、日本では誰も「人種、信条、性別」等々によって差別されないとある。言語もまた基本的人権としてとらえ,言語の違いが不利益に結びつかない社会に意識的に変えていく努力も必要だろう。

更新日: 2003/02/08 — Copyright © 2002 by Kazuto Matsumura