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『南信州新聞』 2002/1/1 「道の歴史を訪ねてみれば...」

東山道の場合


30頭の馬を配備 「阿智駅」はどこに?

1300年の時を越えて,今なお多くの考古学者や文学者たちの心をとらえて離さない古代東山道。特に阿智村園原の「神坂峠」は最大の難所として,当時の都人に強烈な印象を与え,多くの伝説や和歌を残している。

701(大宝元)年,東国統治のために整備された東山道は,美濃国境の神坂峠から信濃へ入り,最初の駅(うまや)「阿知駅」に到着する。同村駒場以北のルートが解明されていないのと同様,この駅家の位置も推定の域を出ていない。

律令時代の法規集『延喜式』によれば,阿知駅には基準の3倍に当たる30頭の駅馬が配備されていたと記されており,神坂峠の険しさを物語っている。位置こそ信州の最南端だったが,神坂峠を抱える最大の駅であった。

位置については,駒場の集落「木戸脇」付近とする見方が有力。木戸は関所や宿駅跡に残る地名で,木戸脇の旧道を行くと,地名「宮の脇」「宮の前」「清坂」があり,安布知神社を通る。この一帯が駒場の中心地区を形成していたと考えられている。

駒場の語源は,官道の周辺に多く見られた「馬の牧場」。後に馬が置かれていた宿駅を指すようになった。この駒場は中・近世においても交通上の要衝にあったことに変わりなく,近代になっても中馬街道の中継地として栄えた。

悠久のロマン湛える 駒つなぎの桜

源義経が東山道を下った時に馬をつないだという言い伝えから名前がつけられた「駒つなぎの桜」。阿智村園原の谷あいにある。素朴な風景に歴史のロマンが溶け込んだ佇まいは,写真愛好家をはじめ,見る人の心を魅了する。

種類はエドヒガン。伝説に実感を与える風格がある。伊勢湾台風の時にひどく枝が折れた後遺症で腐食した部分もあるが,全体的には旺盛に育ち続けており,元気な枝を伸ばしている。

毎年,この桜が咲き誇るころに手前の田に水が張られ,春の情景を見事に演出する。悠久のロマンを湛える美しい姿を見つめていると,何処からか駒のいななきが聞こえてくる気がする。


更新日 2002/01/04