松村一登 (まつむら・かずと)

長野県


長野県

長野県では,県を 「北信」 (長野・飯山地方),「東信」 (上田・小諸・佐久地方),「中信」 (松本・大町・木曽地方),「南信」 (諏訪・伊那・飯田地方) の4つの地域 [ 地図 ] に分けて考えるのが一般的で,県の公式ホームページでもこの区分がずっと使われてきましたが,今年 (2002年) から,右の地図 (出典: 長野県のホームページ) のように,より細かい10地域に分ける方式がとられるようになりました。新しい地域区分は,歴史的・文化的・地理的な背景を反映しているだけでなく,大町・松本・木曽地域が,本当は 「西信」 なのに 「中信」 と呼ばれる不自然さが解消され,県歌 「信濃の国」 に登場する木曽,松本,諏訪,佐久のような伝統的な地名が地域名にふんだんに使われています。

ただ,あえて意見を言わせていただくなら,「飯伊」 (=飯田+伊那),「大北」 (=大町+北安曇?),「上小」 (=上田+小県 [ちいさがた]?) という2つの地名を結びつけて作ったと思われる地域名を 「はんい」 「たいほく」 「じょうしょう」 と 「正しく」 読める県外の人間がはたして何人いるだろうかという心配があります。ちなみに,わが故郷の 「はんい」 は,私にはどこか知らない異郷の地の響きがあります。もっとも,代案として考えられる 「いいい」(=いい[だ]+い[な]) も感心できません。また,「たいほく」 と聞くと,白馬や小谷 (おたり) より,沖縄の南西方向を最初に連想するのが平均的な日本人でしょう (^^) それから,飯山と野沢という,飯田や伊那など足元にも及ばないほど全国に知られた地名をもつ地域が 「北信」 という特徴のない名前で呼ばれるのは,地元の人にとって大いに不満ではないでしょうか。

県外では 「信州」 と呼ばれて,まとまりのある1つの地域であるかのような印象をもつ人が多いようですが,江戸時代に小さな藩や天領からなりたっていた地域であり,また,高い山脈があるなど交通が不便のため,県として成立するまでに紆余曲折があった長野県は今でも 「連邦国家」 といっていいところがあります。たとえば,よく 「信越」 (例: 長野県の民放 「信越放送」) と言いますが,これは本来,新潟県に近い長野を中心とする地方について言うことであって,南の飯田・下伊那地方になると,今でも名古屋や東海地方とのつながりしかありません。ちなみに,飯田線はJR東海 (かつての静岡鉄道管理局),電気は中部電力,さらに,新聞は中日新聞が比較的よく読まれ,子どものころは,NHK・信越放送のほかに,東海放送 (今もあるのかな?) のテレビ番組もよく見た思い出があります。

私の語感では,「長野」 というと長野市を意味し,「長野県」 ないしは 「信州」 と言わないと,県全体をさしている気がしません。たとえば,「長野の出身」 は 「長野市生まれ」 のことになります。あるとき,テレビの台風情報で 「新宿から長野に向かう列車」 という言い方をアナウンサーがしていましたが,中央本線は長野市ではなく諏訪や松本に向かうので,「諏訪・松本に向かう」などと言わないと私には奇妙です。長野新幹線はもちろん,長野に向かいます。ちなみに,新幹線ができて,長野市と東京の距離が縮まったのはいいことかもしれませんが,長野市にある県庁に出向いたり,信越地方のスキー場に出かけたりするのが容易になったわけでも,東京が近くなったわけでもない飯伊地方の人々にとって,長野新幹線は,一生のうちにほとんど乗る機会のない山形新幹線と同じ程度の身近さしかないことが,道路地図や鉄道路線図を見ると一目でわかります (^^)

長野市で編集発行している 『The 信州』 という観光情報誌の最新号 (第100号) が私のところにあるきっかけで届いたのですが, 「信州情報誌」 と銘打っていながら,北信と東信関連の情報中心で,中信・南信の情報はほとんどありませんでした。たまたま,ウィンター・スポーツ情報中心の号を見たためで,ふだんの号はこれほど極端ではないのかも知れませんが,長野市から見た信州のイメージの 「偏り」 を鮮明にしてくれる例であると南信出身の私は受け取ってしまいます (^^)

ちなみに,「長野オリンピック」 には,長野の行事というイメージが終始つきまとい,飯田・下伊那地方では一般に無関心で,県をあげてとりくむ 「長野県オリンピック」 という雰囲気は残念ながら成立しなかった印象があります。聞くところでは,白馬村に近い松本でさえ,似たような 「無関心」 が見られたそうです。うわさされる 「経理の不正」 も,極端な言い方をすれば,あれは長野の人たちが行ったもので,飯田・下伊那の人間には関係のないことだといった気持ちがどこかにある気がします。「信濃の国」 という県歌で 「長野県は一体」 という 「愛県心」 を昂揚させる必要があるゆえんです。

「連邦国家・長野県」の抱える県としてのアイデンティティーの問題を歴史的に扱っている本に,中村勝実 『信州南北戦争―県庁争奪,百年の戦い―』 (櫟 [いちい],佐久 1991) があります。ミステリー作家の内田康夫さんが書いた 『「信濃の国」 殺人事件』 (初版 1985; 講談社文庫 1994) は,こういった歴史的背景がわかって読むと面白いでしょう。

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更新日 2011/01/20