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『南信州新聞』 2003/1/1

アイヌの測量士 川村カネト


川村カネトは1893年北海道旭川市でアイヌの酋長の息子として生まれた。幼年時代蒸気機関車を目にし,心を打たれ鉄道の仕事に就くことを決意。学校を卒業後,測量人夫となり,アイヌという理由で給料を半分にされるなど多くの悔しさを味わいながらも勉強を重ね,測量技手の試験に合格。鉄道員札幌講習所を卒業し,1909年鉄道省の測量技師として北海道の鉄道建設の先頭に立った。

25年から天竜峡―三河川合間の測量のために本州に上陸し,山岳が天竜峡谷にせまる荒々しい地形,岩盤の崩れやすい中央構造線にそった未開の山間を命がけで測量。29年には天竜峡―門島間の線路工事現場監督として,地形が厳しい上に軟弱な地質で水害など悪条件が重なる難工事を完成させた。天竜峡トンネルでは工事のどさくさにまぎれて生き埋めにされそうになったこともあった。樺太や朝鮮などで鉄道測量を手がけた後,旭川市の河村アイヌ記念館の館長としてアイヌ民族の文化保存に尽力した。60年には飯田市を訪れ講演も行っている。77年1月に人生の幕を閉じた。


ページ作成日 2003/01/01